川端康成『古都』

『古都』は奇妙な小説であると感じた。

ヒロインの千重子は出生に謎がある。京の呉服屋の一人娘として育てられたが、父母は彼女を拾った、可愛かったので攫ってきた、母は実母ではないがこの家で生まれたのだ、等々、定かならぬことを言う。いずれにしても、父母は実の両親ではないらしい。生みの両親は不明である。

そんな己の出生が気にかかる二十歳の頃、千重子は友人と出かけた高尾の方面で、自分に瓜二つの村娘と出会う。北山杉の産地で知られる辺りだ。親しく付き合うようになるにつれ、どうやらこの娘こそ、自分の実の双子の姉妹ではあるまいか、と思われてくるのだった。

醍醐寺五重塔落慶式を見に行こうか、というセリフがある。1950年の台風で被災した五重塔の修復が終わったのは1960年らしいので、その時期が作品の舞台か。金閣が焼かれたのは1950年、葵祭斎王代という一般女性が選ばれての女性の行列が加わるのが1956年からで、そういった時期の京都である。京都の祭りや年中行事が作中では描かれており、主人公は京都の町自体といった趣もある。

世の中が移ろいつつあることを示す記述もあり、そんな趨勢で家業の呉服問屋も傾きつつあるようだ。若い千重子は、こんな商売止めてしまってもいいのではないか、と言ってしまったりする。

結局、ヒロイン千重子の出生について、確かなことは分からない。彼女が拾い子であるとは両親の言だが、拾われた由来についても言うたびに異なるので、何か事情があるのは確かそうだが、拾い子であるとも決めがたい気もする。

この小説は双子の話ということになっている。

千重子は出会った瓜二つの村娘、苗子を生き別れの双子の姉妹だと合点しているが、これも実際のことはわからない。たしかに同年輩の瓜二つの人間などそうそういるはずもなく、話を聞けばたしかに互いの運命には符号する点があるようだ。生き別れの双子だと解釈するのも奇妙ではない。しかし、たとえば、出生に疑義のある少女が、自分と瓜二つの娘と出会い、彼女を生き別れの双子だと思い込んだという解釈もできそうな気がする。事情を抱えている時、それを物語として消化できる筋立てを人は識らず求めたりもするものだから。

更に飛躍して言えば、双子の片割れとの出会い自体も含め、この物語自体が、出生に疑いのある少女の描いた白昼夢のような結構であるようにも思えてくる。

そもそもロマンスというのは、物語の中に登場する誰かのみた夢だと解釈できる話の仕組みになっている。「シンデレラ」や「白雪姫」は母に虐められた少女の夢、「一寸法師」は小さい男の子の夢、等々といった具合に。ロマンスの中には、その物語を欲望している者がいる。また、もう一人の自分と出会う、ないし別れるというのはイニシエーションの過程としてもありそうで、千重子の青年期の終わりの情景の物語という感じもする。

古都 (新潮文庫)

古都 (新潮文庫)